フリー映像作家 澤則雄のブログ

フリー映像作家 澤のブログです。津久井やまゆり園事件や子宮頸がんワクチン問題を取り上げたドキュメンタリー映画を製作しました。

生きるのに理由はいるの?「津久井やまゆり園事件」 が問いかけたものは・・・のDVDを見たかたの感想

DVD〖生きるのに理由はいるの?〗を観て

DVDを見た方のご感想をご紹介させていただきます。

ご感想ありがとうございました。

私は、東京都00区で障害者の訪問ヘルパーを7年半程やっている者で、次男が発達障害不登校、私自身も、鬱など、精神疾患で苦しんだ時期もありました。

私はやまゆりの事件は、あまりにも衝撃でした。日々私が支援する障害者は知的障害の方が多く、特別、この件について反応する方はおらず、障害者自身も事業所も、この事件について触れる事はありませんでした。

非常勤なので、法人としては事件をテーマにしあったかもしれないですが、それは解りません。
訪問先で医療的ケアを行う重度心身障害児者や、その家族も、コロナでの集団感染などは怖いね~、と話題にしても、やまゆりの方は、なぜでしょうか、あまり話題にはなりません。

マンツーマンの知的障害者精神障害者などの支援では、むしろ、そんな怖がらせる可能性がある情報はタブー、という空気もあります。

DVDを観て、
自分も植松被告と似た感情を持った事がある、という看護師でコラムニスト、という方の言葉、とても共感しました。
でも一番、心に響いたのは、最後の被害者美帆さんのお母さまの最終公判でのお話しでした。

美帆という愛する娘、自分の先生でもあった、と。

私の次男は発達障害で、なかなか学校に適応できず、問題行動、不登校、、たくさん本を読んで勉強して、病院、薬、、心身共に具合は悪くなるばかりでした。

私が何とかしようとあがき、情報をかき集め走りまわる中、息子からは笑顔が減ってゆき、いつしか私は自分を犠牲にして走りまわり、ヨレヨレ、疲れはて、毎日が暗闇で、次男の育児は、自分に与えられた巨大な試練のようになっていました。

息子を何とか少しでも一般常識的な、多数派の価値観の社会で生きられるように変えよう、と必死でした。
食べるもの、何時にどこで何をするのが、彼を「少しでも良くして」くれるのか、模索し、全てをコントロールしようとしていました。
次男は学校には行きたくない、本当はこうしたい、という思いがあっただろうに、母の価値観を押し付け、ありのままの個性とその言動の後ろにある想いを尊重していませんでした。

長男も次男も産まれたばかりの頃、私は日記に〖命に変えても幸せにする〗と日記にかいていました。

この上なく可愛く愛しく、私の元に産まれてきてくれて、嬉しい。腕の中の息子といると、私は明るく暖かい光に照らされて、幸福で豊かな気持ちになれました。

長男には無かった次男の、様々な問題に思える言動は、特殊で少数派なだけで、彼には彼のものの見え方、感じ方、で自然に出てくる言動だったわけで、その唯一無二の個性と向き合わないで、次男に笑顔が戻って来る訳なかった。
万策つきて、原点を思いだし、この子の幸せって何だろう?
支援職として向き合う障害児、者、この方々の幸せって?
私の幸せは?
人生って??
。。。

決して必死で頑張ってストレスいっぱいで休みなく働く事なんかじゃないし、好きな事して、笑って、働いて、遊んで、美味しい物食べて、泣いたり笑ったりしていたい。

私は、教育ママにも、聖職者にもなりたくない。
ただ、可愛い愛する息子には笑っていて欲しい、それが一番の望みだった。

目の前の自分と息子を捉え直し、解釈しなおし、私らしく、次男は次男らしく、生きてゆけばいいんだ、と。

私は、この子の事を一番よく知っている、つもりだけど、これからまだまだ知らない面を周りの人達との関わりの中で自他共に知ってゆくのでしょう。
私が必死でお膳立てしなくたって、ゆーっくりだけど、この子は成長してゆく。そう信じる事にした。

美帆さんのお母さまが、奪ってよい命など1つもない、あなたはご両親からそれを教わらなかった、かわいそうな人、だと。

命の尊さ、それはたぶん学校で算数を教わる様に学ぶのではなく、親から人から社会から、守って貰ったり、助けてもらったり、仲間と泣いたり笑ったり感動して気持ち良い時間を過ごせたり、自分がした事にありがとうっていう反応を貰ったり、、そんな喜びの経験から自然に知るものかな、と思います。

私も、美帆さんのお母さまと同じで、息子達から学んだ事は測りしれず、特に次男との関わりからは、人間の弱さ、愚かさ、強さ、愛や憎しみなど深く豊かな感情を学びました。

そして、人間は10人10色の豊かな個性があり、だから面白いし、助けあい、協働して社会を成立させられるんだ、と感じるようになりました。

重度の障害者本人、家族にとっての今の社会は、実際に、まだまだ制限だらけだと思います。
差別と偏見も根深いです。
でも、そこに寄り添いたい、困難な現実を、社会を変えたい、と感じている人間もいます。

知らないだけで、「知る」事で、子どもは自然と、困ってる人や弱者に手を貸すようになります。
周りの大人がそのように生きていれば、教えなくても、そのように育っていきます。
子どもでなくても、命は、優劣なく等しく、ありのままで尊重されるべきものである、という扱いをされていれば、大人になってからでも、その真実を知る事ができると思います。

私の経験からだと、難しい顔で1人悩み苦しみ頑張るより、素直に助けや教えを請うたり、仲間を信じ、心の内を話し、理解しようと聴けば、傷は癒され、未来を明るく変える知恵が生まれてくると感じています。

最後に、理不尽に命を奪われた被害者の方々のご冥福を心よりお祈りします。
ご遺族の方々の深い悲しみがどうか、少しでも癒されますように。」

 

※掲載には許可をいただいています。
貴重な感想をありがとうございました。